智辯学園野球部OB会

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2009/3/26

■WBC特集

ウィキペディアより

高代 延博
(たかしろ のぶひろ、1954年5月27日 - )は、奈良県下市町出身の元プロ野球選手(内野手)。1985年から1988年の登録名は「高代 慎也」(たかしろ しんや)。

2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表内野守備走塁コーチ。

智辯学園高校から法政大学へ進学。東京六大学リーグでは3年生の時から出場。3年生秋に首位打者になる。リーグ通算50試合出場、190打数55安打、打率.289、1本塁打、17打点。ベストナイン3回。

東芝を経て、1979年ドラフト1位で日本ハムファイターズに入団、1年目から遊撃手のレギュラーに定着し、ゴールデングラブ賞を受賞。翌1980年にはベストナインにも選ばれた。1981年のリーグ優勝にも貢献する。

170cmに満たない体格であったが、その熱血漢ぶりには定評があり、菅野光夫、古屋英夫らと共にチームの主力として活躍した。1988年オフ戦力外通告を受け、1989年、新監督に就任した大学の先輩である山本浩二に請われ、広島東洋カープに移籍し、その年限りで現役引退。

引退後は、1990年〜1998年広島二軍・一軍守備走塁コーチ、1999年〜2001年中日一軍守備走塁コーチ、2002年日本ハム、2003年ロッテ一軍ヘッド兼守備走塁コーチ、2004年〜2008年中日一軍野手総合チーフコーチを歴任。

2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表の内野守備走塁コーチに就任した。3塁ベースコーチ。

◆エピソード
  • 1985年の年間犠打数41は、2007年に田中賢介に破られるまで日本ハムの球団記録であった。
  • 高代がコーチをしていた広島が三村敏之監督であった時に、再三中日の星野仙一監督から高代をコーチとして譲って欲しいと打診があった。しかし、三村は「私がいるうちは高代だけは出せない」と拒否した。
  • 広島退団後、中日へ入団した1999年、ノックを浴びせていた福留孝介、立浪和義のあまりの守備の緩慢さに大激怒し、「お前ら!PLに返すぞ!」と怒鳴りし散らした。
  • 三塁ベースコーチャーとしての打球への判断がよく、セ・リーグのペナントを制した2006年は本塁での憤死をリーグ最小の1にとどめた。
  • 金本知憲が2006年に連続フルイニング出場の世界記録を更新した際の会見で、「広島時代に自分に大きな影響を与えてくれた3人」を挙げたが、その中で「守備・走塁を根気よく教えてくれた」と高代の名前を挙げている。
  • 2009WBC日本代表の試合前の練習でノックを打つ姿を見たアメリカの関係者からノックが上手いと絶賛された。
◆表彰
  • ベストナイン:1回(1980年)
  • ゴールデングラブ賞:1回(1979年)
  • オールスターゲーム出場:3回(1979年、1980年、1983年)
◆背番号
  • 2(1979-1988)
  • 5(1989)
  • 70(1990-1995)
  • 81(1996-1998、2004-2008)
  • 86(1999-2001)
  • 87(2002-2003)
  • 63(2009(WBC))

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